ぷーさんのハニーハント

壁にぶつかったことでアドラー心理学に出会いました

いつでも終わりを思い描くこと

 

先日、可能性はとても低いが死ぬかもしれないと思う恐怖を感じた出来事があった。

 

7つの習慣でコヴィー先生から

『終わりを思い描く』ことを教えてもらったが

今の私は目的地がわからない人生を歩んでおり、

今死んだら心残りや心配なことがたくさんあることを久しぶりに感じた。

 

死ぬかもしれないのか、と思いつつ目の前の仕事に追われていた時、

1人の少々年配の女性が「私はいつ死んでも悔いはない」とおっしゃった。

初めてお会いした方だったが、この方はすごいな、と思うのと同時に、

悔いはないとはっきり言える人生とはどんな人生なのだろうと思った。

今自分に置き換えて想像してみても、どう人生を歩めばそんなふうに言えるのかわからない。

一方で、「私は今死んだら悔いしかない」という事務員の女性の発言には笑えた。

 

今死んだら、何よりも心配なのは子どものことだと思う。

寂しい思いはしないか、生活に不自由しないか、幸せになってくれるか…

父親が一人で子育てをすることは、きっと世間一般で思われているより大変なことだ。

妊娠中で普段以上に情緒不安定なため、幼い子どもを残して死ぬことを少し考えただけで泣けてきた。

 

もし本当に、幼い子どもを残して死ぬことになった場合、自分にできることは何か。

お金を残すことと、このブログのように自分の考えや子どもへの思いを残すことくらいだろうか…

 

成人した子供にお金を残す気はないが、成人していない場合、私からは2000万程残したい。

お金に余裕があれば、母親亡き後に無理をして家事をせず外注できる。

お金のためだけに学生でアルバイトをする必要もないだろう。(バイトしたいなら反対はしない)

あまり乗り気ではなかった積立の生命保険的なものを契約する意欲が湧いてきた。

お金が有り余っていれば保険なんて必要ないが、そんなことは言っていられない。

 

もう一つは、私の考えや思いを残しておき、大きくなってから子どもが見られるようにしておくことだ。

私は結婚も子育ても自分には向いていないと思うことが多々あるが、本当に子どもには感謝しているし、

自分の生きるプレッシャーとなるほどに大切で、大切すぎて幸せであることを伝えたい。

これからは時々、思いを何処かに残しておこうと思う。

 

ここまで書いて、幼い我が子を残して死ぬことが確定したような暗い気分なので少し気持ちを切り替える…

 

 

見ず知らずの人に殺されることを考えた時、15年前の出来事を思い出した。

当時中学生で付き合っていた男の子がいた。

格好良くて運動が得意で面白くて、お世辞でも真面目とは言えない優しい子だった。

ある日、学校の近くのコンビニに刃物を持った強盗が入った。

犯人が捕まっていないため、帰る時は集団で帰るよう指示され、先生たちも見回りをしていた。

私は生徒会か何かで放課後用事があり、一人で帰らなければならなかった。

校門から自宅までは徒歩3分。近すぎて先生も全く心配しない。

用事が終わり少し怖いと思いながらも一人で帰ろうとした時、校門の近くに彼が座っていた。

心配だったようで、帰れという先生に反抗して1時間以上待っていてくれた。

普段は家が近すぎて一緒に帰ることはなかったので、一緒に帰ったのはこの日が初めてだった。

全く予想していなかったためか、すごく嬉しかったことを今も覚えている。

彼とは付き合うことになったきっかけも、別れることになった理由も幼稚で、

たかが中学生の恋愛だったかもしれないが、今でも鮮明に覚えている幸せな出来事だった…

 

 

 

今回、死ぬかもしれないという恐怖のおかげで人はいつでも死ぬ可能性があることを実感することができた。

ついでに15年も前の記憶が蘇り、幸せな気分にもなった。

 

結局物事は自分の受け取り方次第でプラスにもマイナスにもなる。

全てをプラスに受け取ることができると良いが、

マイナスに感じた時の気持ちを受け入れ俯瞰することができれば、それは前進していると言えると思う。

 

人生には終わりがあり、それはいつ来てもおかしくないことを忘れず、

毎日感謝して生きられるような人になりたい。