主体的であること 全ては自分で選択できる
アドラー先生やコヴィー先生は主体的であることの重要性を説きます。
複雑であるように見える世界でも実はシンプルであり、
もし世界が複雑であるとしたら
それを決めているのは自分自身である。
自分の行動や考え方は全て自分の責任である。
という考え方です。
なるほど…
先生方は何があっても自己責任だとおっしゃっている。
全ては自己責任、これは本当に厳しいご指摘です。
具体的に、職場でのことを考えてみます。
ある日、Cさんは仕事後にコンサートに行く予定がありました。
しかし、Cさんが帰ろうとした直前、
上司から部下であるCさんへ追加の仕事を指示されました。
Cさんは上司の指示を断ることができず、嫌々仕事をすることにしました。
数ヶ月前から楽しみにしていたコンサートには行けませんでした。
→Cさんは上司が急に残業を指示したから、コンサートに行けなかったと考えました。
残業をすることになった2時間、嫌な気分で仕事をしました。
果たしてこれは、本当に上司の責任だろうか?
Cさんが選択したことではないのか?
主体的な考え方では、残業することを選択したのはCさんだと考えます。
Cさんには上司の指示を断ることができました。
それでも断らなかったのは、Cさんが本当はその仕事を
“やりたかったからだ”
と考えます。
上司に事情を説明して断ることもできたのに、そうしなかったのはCさん自身の選択です。
・断ったら上司に怒鳴られるかもしれないから
・昇進に影響するかもしれないから
・その仕事をやらなければ困る人がいるから
どんな理由があったとしても、それを選択したのはCさんなのです。
“やらされている” 意識で取り組むより
“自分がやりたくてやっている” と思いながら仕事をした方が
同じ時間でも世界が変わると思います。
普段から主体的であれば、第3案を考えることもできたかもしれません。
なるほどなるほど…
分かりましたよ、コヴィー先生、アドラー先生!
全ては自己責任であると考えると、何も言い訳できなくなります。
人のせいにはできない、本当に厳しい考え方です。
でも逆に考えると、全ては自分で決められるということです。
自分の行動や意識は他者の影響を受けたとしても、自分で決めることができる…
優しさに溢れた考え方だと思いますが、実際に意識すると厳しいのです!
しかし私は言い訳せず、逃げず、少しずつでも頑張ります。
今日もたくさんの方に支えていただき幸せな1日を過ごせました。
ありがとうございました。
素敵な1日を…